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長崎地方裁判所 平成3年(ワ)317号 判決

原告

甲野花子

右法定代理人親権者父

甲野一郎

同母

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

小林正博

中村照美

被告

長崎県離島医療圏組合

右代表者会長

金子原二郎

右訴訟代理人弁護士

鶴田哲朗

右指定代理人

高木孝一郎

外五名

主文

一  被告は、原告に対し、金二二六八万八六八七円及びこれに対する平成三年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を被告の、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金四〇三二万七七〇〇円及びこれに対する昭和六三年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告が開設する病院で出生した原告が、同病院の医師の不適切な処置により障害を負ったとして、被告に対し、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償を求めたものである。

一  前提となる事実

1(一)  原告は、昭和六三年二月二四日、原告法定代理人親権者母甲野春子(昭和二四年一二月二三日生。以下「春子」という。)を母として、長崎県南松浦郡奈良尾町奈良尾郷〈番地略〉所在の長崎県離島医療圏組合Y病院(以下「Y病院」という。)において出生した者である。(春子の生年月日は乙一ないし三の各1、2による。その余は争いがない。)

(二)  被告は、長崎県及び県内離島市町が一体となって病院を経営することにより、医療施設に恵まれない離島地域に医療施設を整備するとともに、医療従事者の充実を図り、もって離島地域住民の健康な生活を確保することを目的として設立された組合であり(長崎県離島医療圏組合規約第一条)、Y病院を開設している。(被告がY病院を開設していることは争いがなく、その余は顕著な事実である。)

(三)  乙川太郎医師(以下「乙川医師」)は、昭和六二年三月に埼玉医科大学を卒業後、同年五月に医師免許を取得、同年六月、研修医として長崎大学産科婦人科学教室に入局し、同六三年二月一三日から同年三月一三日までの間、Y病院に出向し、同病院で勤務していた。(証人乙川)

2(一)  春子は、昭和六二年八月一二日、Y病院において、医師Aの診察を受け、妊娠一一週二日、分娩予定日昭和六三年三月一日と診断された。なお、その際、超音波断層法により、胎児の頭殿長は四四ミリメートルと測定された。(乙一の1、2、証人乙川、春子及び弁論の全趣旨)

これにより、春子と被告との間においては、原告の出生を条件として同人の安全娩出の確保等を内容とする準委任契約(第三者のためにする契約)が成立した(第三者である原告の受益の意思表示は、3(七)記載の原告の出生の時点で、同人の法定代理人親権者である春子及び甲野一郎により黙示的になされたというべきである。)。

(二)  なお、春子は、これに先立つ昭和六〇年四月一七日、正常経膣分娩により、二九八〇グラムの女児を出産しているが、このとき、春子は軟産道強靱との診断を受け、一旦は帝王切開が予定されていた。(乙二の1、2及び百合子)

(三)  その後、春子は、以下のとおり、Y病院において医師の診察を受け、胎児の大きさの測定を受けるなどした。(乙一の1、2及び弁論の全趣旨)

(1) 昭和六二年九月二五日

(担当B医師)

妊娠一七週四日

腹囲九六cm 子宮底一七cm

血圧一三四〜八〇mmHg

尿蛋白(−) 尿糖(−) 浮腫(−)

体重七四kg

胎児の大きさ 大横径三七mm

胎児心拍(+)規則的

(2) 同年一〇月二八日

(担当C医師)

妊娠二二週三日

腹囲九八cm 子宮底二三cm

血圧一三四〜八八mmHg

尿蛋白(−) 尿糖(−) 浮腫(−)

体重七五kg

胎児の大きさ 大横径五一mm

胎児後壁

(3) 同年一二月一〇日

(担当D医師)

妊娠二八週三日

第一頭位 腹囲一〇五cm 子宮底三一cm 血圧一三四〜八二mmHg

尿蛋白(−) 尿糖(−) 浮腫(−)

体重七八kg

胎児の大きさ 大横径七二mm 腹囲248.06mm(八五×七三mm)大腿骨長五一cm 推定体重一二七七〜一三一七g

(4) 昭和六三年一月一二日

(担当E医師)

妊娠三三週一日

第二頭位 腹囲一〇八cm 子宮底三三cm 血圧一三〇〜九〇mmHg

尿蛋白(−) 尿糖(−) 浮腫(±)

体重80.2kg

胎児の大きさ 大横径八三mm 腹囲312.5mm(九五×一〇四mm)大腿骨長六〇mm 推定体重二三六四〜二四三一g

(5) 同年一月二九日(担当 F医師)

妊娠三五週四日

第二頭位 腹囲112.5cm 子宮底三七cm 血圧一一八〜八〇mmHg

尿蛋白(−) 尿糖(−) 浮腫(+) 体重81.5kg 子宮収縮(+) 胎動良好

胎児の大きさ 大横径八六mm 腹囲三三六mm(一〇四×一一〇mm)大腿骨長六一mm 推定体重二八六四〜二九四二g

内診の結果 子宮頚管軟

子宮口二cm開大 展退度三〇%

(6) 同年二月一五日

(担当 乙川医師)

妊娠三八週〇日

第二頭位 腹囲一一一cm 子宮底三七cm 血圧一三四〜九四mmHg

尿蛋白(−) 尿糖(−) 浮腫(+)

体重八三kg

胎児の大きさ 大横径八九mm 腹囲三四〇mm(一〇四×一一三mm)大腿骨長六八mm 推定体重三一〇一g

内診の結果 子宮頚管軟

子宮口四cm開大 展退度四〇一%

3(一)  昭和六三年二月二三日午後三時ころ(以下、特に記載のない限り、月日の記載は昭和六三年を指す。)春子の陣痛が始まり、同日午後九時ころからは一〇分から一五分間隔で陣痛が来るようになったため、同人はY病院を訪れ、同日午後一〇時一〇分、同病院に入院した。(争いがない。)

(二)  同日午後一一時一〇分、乙川医師は、春子に対し、人工破膜を行なった。その時点で児頭はSP+−〇まで下降していたが、その後児頭の下降は進まず、翌二四日午前四時三〇分においても依然としてSP+−〇であった。(争いがない。)

(三)  春子の子宮口の開大は、二月二三日午後一〇時三〇分までに八センチメートルになったが、その後の開大はなかなか進まなかった。(争いがない。)

(四)  乙川医師は、二月二三日午後一〇時三〇分以降、春子に分娩監視装置(CTG)を装着して同人の陣痛の状況及び胎児心音を監視していたところ、翌二四日午前一時二五分ころ、胎児に一分間に一〇〇拍の徐脈が発生し、その後、同日午前一時三二分ころには一分間に一六〇拍、午前三時ころには同一六〇拍台、午前五時一〇分ころには同一六〇ないし一七〇拍台となった。なお、右分娩監視装置の記録用紙は、既に処分されており、存在しない。(乙川医師が二月二三日午後一〇時三〇分以降春子に分娩監視装置を装着して同人の陣痛の状況及び胎児心音を監視していたこと、翌二四日午前一時二五分ころ胎児に一分間に一〇〇拍の徐脈が発生したこと、分娩監視装置の記録用紙が既に処分されており存在しないことは争いがなく、その余は乙二の1、2による。)

(五)  乙川医師は、同日午前四時ころ、春子について、その時点では軟産道強靱にあるものと診断し、さらに同人が体重八三キログラムの肥満体であることなども併せ考慮し、帝王切開実施の可能性も考えて、検査を指示した。(証人乙川及び弁論の全趣旨)

(六)  同日午前六時一〇分、春子の子宮口はほぼ全開大になった。(争いがない。)

(七)  同日午前六時五五分、乙川医師は、春子に対し、子宮底圧出法を試みて経腟分娩を行い、その結果同日午前七時一二分、原告が娩出された(この分娩を、以下、「本件分娩」という。)。なお、本件分娩の途中、原告は、頭部だけが娩出し肩甲部の娩出が困難になる「肩甲難産」の状態に陥った。(争いがない。)

(八)  出生時における原告の体重は四二五〇グラムであり、同人の一分後のAPスコアは四点(心拍二点、皮膚色一点、筋緊張一点)、三分後の同スコアは七点であった。(出生時における原告の体重が四二五〇グラムであったことは争いがなく、その余は乙二及び三の各1、2並びに証人乙川による。)

4  その後、原告の左腕に麻痺(エルブ麻痺・上腕部神経叢型麻痺)が存することが判明し、現在も同部の麻痺が残っている。(原告の出生後、その左腕に麻痺が存することが判明したことは争いがなく、現在も同部の麻痺が残っていることは原告本人による。)

5(一)  原告法定代理人親権者らは、平成三年八月二日、本件訴訟の提起及び追行を弁護士小林正博及び同中村照美に委任した。(顕著な事実)

(二)  原告訴訟代理人小林正博は、同月一〇日、本件訴訟を提起し、その訴状は、同月三一日、被告代表者(当時は高田勇)のもとに送達された。(顕著な事実)

(三)  被告訴訟代理人は、同年一一年二日、本件訴訟の第一回口頭弁論期日において、被告の使用者責任につき消滅時効を援用する旨陳述した。(顕著な事実)

二  争点及びこれに関する当事者の主張

争点1 原告の直接の原因

(原告の主張)

本件分娩の際、乙川医師が原告の頭部に過度の圧迫牽引を加えたことにある。

(被告の主張)

争う。

争点2 乙川医師の過失及び被告の責任の有無

(原告の主張)

1 乙川医師には、次のような過失がある。

(一) 原告が肩甲難産に陥ったのは同人が巨大児であったためであるところ、一般に胎児が巨大児であることが事前に判明していれば、担当医師としては、当初から帝王切開を選択するか、より早期に帝王切開に切り替えたはずである。この点、原告は出生当時四二五〇グラムの巨大児だったから、二月一五日に乙川医師が超音波断層法による測定を行い胎児の体重を推定した時点において既に四〇〇〇グラムを超えていたはずであって、同医師は、その時点で原告が巨大児として出生することを認識し得た。しかるに乙川医師は測定を誤り、胎児の体重を三一〇一グラムと推定したため、原告が巨大児として出生することを看過した。

(二) 春子は妊婦として高齢であり、かつ、高度の肥満であったから、分娩時に異常事態が発生する可能性があることが予測された。このような場合、担当医師としては、本来、(1)ないし(3)のいずれかの措置をとるべきであり、少なくとも(4)の措置をとるべきであったのに、乙川医師はいずれの措置もとらなかった。

(1) 妊婦及びその家族に経膣分娩の危険性と帝王切開の危険性を説明して、その希望に従っていずれかを選択させる。

(2) 帝王切開の必要性が発生した時点で直ちにこれに切り替え得る体制のもとに経腟分娩を行う。

(3) (2)の体制をとることが可能な他の病院に転院させる。

(4) 技術が未熟で経験の少ない研修医が単独で分娩に立ち合うのを避け、経験豊富な医師の立合いのもとに分娩を行う。

(三)(1) 胎児には早期に仮死又は低酸素症の兆候が表れていたと考えられるところ、分娩監視装置によれば右兆候は早期に発見が可能であり、かかる場合、本来、担当医師としては、早期に帝王切開に切り替えるべきである。しかるに、乙川医師は、徐脈の発生時期について意識的な監視をしないなど、適切な観察・監視を怠り、春子の子宮口がほぼ全開大になるまで右兆候を看過した。

(2) なお、本件のような診療契約の不完全履行を理由とする損害賠償請求の事案の場合、不完全履行の事実は原告が主張・立証責任を負うものとされているが、いかなる判断のもとにいかなる医療行為をしたかという事実のすべてについて原告に主張・立証責任があるとするのは原告に不可能を強い、正義公平に反することになる。したがって、かかる事実については被告がこれを明確にすべきであり、原告は、被告が明らかにした医療過程の中に存在する医学上不適切な作為や不作為を指摘し、結果との因果関係と過失を主張・立証する義務を負うにすぎず、また、被告がカルテその他の医療記録の不備や不存在のために右事実を立証できない場合、その不利益は被告が負うべきである。

この点、本件では、分娩監視装置の記録用紙が既に処分され、存在しないところ、右用紙は分娩監視装置が装着されていた間に胎児に他の適切な分娩法を選択すべき異状が発生していなかったことを明らかにする唯一の客観的証拠であり、被告は右事実を立証し得ない。したがって、その不利益は被告が負い、分娩監視装置が装着されていた間に経腟分娩以外の他の分娩法を選択しなかった不作為に違法性がないことについて、被告は立証責任を果たしたとはいえないというべきである。

(四) 乙川医師は、本件分娩を介助する際、同人の頭部に過度の圧迫牽引を加えた。

(五) 仮に、春子の子宮口がほぼ全開大となった後、分娩の進行が特に医学上問題とすべきほどに遅れておらず、胎児に何らの危険な兆候もなかったのであれば、子宮底圧出法を用いる医学上の必然性はなく、むしろ、担当医師としては胎児が自然に旋回し、子宮口が全開大になり、軟産道が熟化して胎児の頭部が自然に陥入することによって開くのを待つべきであった。しかるに乙川医師は、子宮底圧出法を用いて無理に胎児を軟産道に押し下げたため、十分開かれていなかった軟産道への胎児の不自然な進入を招き、肩甲難産を惹起した。

2(一) 以上のような乙川医師の過失は、診療契約上被告の履行補助者の過失であり、被告は原告に対し、債務不履行に基づく損害賠償義務を負う。

このほか、被告には、乙川医師の使用者として、使用者責任に基づく損害賠償義務もある。

(二) また、本来、研修医の医療行為は、研修医でない医師の立合いのもとに行われるべきであり、研修医である、乙川医師を単独で医療行為にあたらせたこと自体、被告の債務の不完全履行である。

(三) 被告は離島地域に適切な医療サービスを提供することを目的として設立された組合であり、Y病院が離島・僻地にあることは、研修医を単独で医療行為にあたらせることの免罪符となるものではない。

(被告の主張)

1(一)(1) 乙川医師が行った胎児の体重の推定は、超音波断層法により測定された大横径及び腹囲の値をシェパードの式にあてはめて行ったものであり、測定や算出の過程に誤りはなかった。シェパードの式は一般的に広く用いられているものであり、検査時の胎位や胎向により誤差が生じるが、これはやむを得ず、誤差の生じない推定法は存在しない。同医師が推定した値からは、原告が四二五〇グラムの巨大児として出生することを予測することは不可能であった。

(2) そもそも胎児が巨大児であるとしてもそれゆえ肩甲難産になるとはいえず、肩甲難産を事前に予測することは不可能である。

(二)(1) 妊婦が高齢で肥満であるからといって、選択的帝王切開の適応になるわけではなく、経験豊富な医師が、分娩に立ち会わなければならないともいえない。

(2) Y病院では上五島病院の応援を得られる体制を組んでいたが、そもそも肩甲難産の場合は、その発生が認知される時点においては、既に胎児の頭部が腟外に脱出しているため、その時点から帝王切開を行うことは不可能であるから、帝王切開の不準備と本件の結果との間に因果関係はない。

(3) 肩甲難産を事前に予測することは不可能であるから、事前に転院を考慮すべき理由や必要性もない。

(三)(1) 胎児仮死の兆候とされる遅発一過性徐脈は、母胎の陣痛の出現に遅れて発生する特別の形の徐脈であり、徐脈の発生時期を意識的に監視していたか否かで判断されるものではなく、分娩監視装置の記録用紙の母胎の陣痛曲線と胎児心拍のグラフとの対比によって判断されるものである。この対比によって遅発一過性徐脈が認められれば帝王切開等の対象となるが、本件徐脈はそのようなものではなかった。

(2) Y病院の産婦人科は平成二年四月に閉鎖され、そのころ保存期間が経過した分娩記録用紙は処分されたものであるが、被告に対し原告から損害賠償請求の意思表示がなされたのは平成三年二月八日付内容証明郵便による催告が初めてであり、右処分当時には原告と被告との間には紛争は生じていなかった。したがって、本件において故意又は過失による証明妨害の主張はあたらない。

(四) 一般に肩甲難産に陥った場合、胎児の生命予後を優先するためにはある程度強引な方法で娩出を図るほか有力な手段がなく、また、本件において、経験豊富な医師が分娩介助をしていれば原告の上腕神経叢に損傷を与えることなく分娩を終了させることが確実にできたともいえない。したがって、乙川医師のとった分娩介助の手技に過失を認めることはでない。

(五) 本件において、子宮底圧出法は、春子が努責しても娩出効果がなく、腹圧不全があったために実施されたものであり、その選択は状況に応じた合理的な判断であった。

2 離島・僻地における医療体制には人的・物的制限があり、都会と同様の医療サービスを提供できないとしても損害賠償の理由にはなるものではない。被告は可能な範囲で最良の医療サービスを提供すべく努力しており、本件においてもしかるべき注意を払って最善の努力をした。

争点3 障害を負ったことにより原告が被った損害の額

(原告の主張)

逸失利益二八三二万七七〇〇円、慰謝料一〇〇〇万円、弁護士費用二〇〇万円の総額四〇三二万七七〇〇円である。

(被告の主張)

争う

争点4 使用者責任に基づく損害賠償請求権の消滅時効の成否

(被告の主張)

被告に使用者責任があるとしても、乙川医師の診療行為から本件訴訟提起までに既に三年間が経過しているから、同責任に基づく損害賠償請求権については消滅時効が完成している。

第三  当裁判所の判断

一  争点1について

1(一)  まず、乙三の1、2によれば、原告については、二月二四日午前九時三〇分の時点で、左上肢筋の緊張がないことが観察され、翌二五日には左上肢の運動がまったくないことが認識されていたことが認められる。

(二)  一方、甲六、九によれば、一般にエルブ麻痺の原因は、分娩時に上腕神経叢が過度に牽引又は圧迫されることにあるものと認められるところ、証人乙川によれば、乙川医師は、肩甲難産に陥った原告を娩出させる際、母体の左側を向いて娩出していた原告の頭部をつかみ、母体の背中側に牽引したことが認められ、その際、少し無理して牽引したことは同証人も認めているところである。

2  以上の事実によれば、原告の障害(エルブ麻痺)の直接の原因は、1(二)において認定した乙川医師の措置にあるものと認められる。

二  争点2について

1  本件分娩を介助する際に乙川医師がとった措置の手技の点から検討する。

(一)(1) まず、甲一によれば、平成元年に株式会社南江堂から発行された「産科学」(改訂第二版)には、肩甲難産の状態に陥った場合に分娩介助者がとるべき措置として以下の記載があることが認められる。

「児頭娩出後、産婦を軽くりきませながら、児頭を静かに牽引する。このさい、続いて肩甲が下降せず、ただ頚部のみが伸展されるような場合は、肩甲娩出困難と考え、ただちにその原因と処置に移らなければならない。ただし、積極的操作を急ぐあまり、過剰な処置を行うと、母児とも損傷が大きくなることもあるので、注意が必要である。/処置は次のように行う。まず、産婦においては、両脚を強く腹部方向に挙上させて、強くりきませる。次に、分娩介助者においては、恥骨結合後面に第2、第3指を挿入し、胎児肩甲部に達したあと、その2指を腋窩にまですすめる。次いで、1指で胎児胸郭部を軽く圧しながら、他の1指で腋窩より肩甲部を下外方へ牽引する。同時に外手においては、第1胎向であれば、骨盤第2斜径方向へ、第2胎向であれば第1斜径へ、恥骨結合上より誘導する。こうして前在肩甲を恥骨結合下縁まで滑脱娩出させ、これを支点として後在肩甲を後方より娩出せしめる。/以上の操作が不成功であった場合は、次のように、第二の娩出法を試みる。すなわち、娩出介助者は、4指を母体仙骨側に沿って腟内挿入し、児背にあてるとともに、示指を後在腋窩に挿入する。外手にて恥骨結合上部を強く圧迫し同時に内指にて児の背側方向に児を回転させながら下方へ牽引する。すると、児は反対側、すなわち第1胎向であれば第2胎向に回転しながら、第2胎向の肩向娩機転を生じて肩甲は娩出される。/さらに、第二の娩出操作でも不成功に終わった場合は、最終的手段として、前在肩甲部に位置する胎児鎖骨を故意に骨折させる。これにより肩甲横径は短縮し、体幹の娩出は容易となる。鎖骨を故意に骨折させることは問題もあるが、胎児死亡や仮死後の脳性麻痺に比較すれば、傷害の程度はずっと小さい。」

(2) また、甲二によれば、昭和五七年に右同社から発行された「必修産婦人科学」(改訂第二版)には、右同様の場合の措置として以下の記載があることが認められる。

「(1)第1法:児頭の側頭部を両手掌間で挟み後下方に圧迫して前在肩甲を恥骨結合下まで牽引して、次いで前上方に引き上げれば後在肩甲が容易に娩出し、前在肩甲も恥骨に接して娩出する。/(2)第2法:第1法が効なきときは、後在肩甲と異名側の示指を腟内に挿入して児背の後方から後在腋窩に置き、母指を肩にあて、他手で児頭を後下方に圧迫して前在肩甲を恥骨弓に娩出させる。それ以降は第1法と同じである。/(3)第3法:上記2法が不成功の際には、第2法に他手の示指を前在腋窩に挿入して後下方次いで前上方の運動を反復してみる。」

(3) さらに、鑑定人は、乙川医師がとった措置の手技の点に関する質問に対し、大要次のとおり供述している。

「分娩には合理的・物理的な要因が必要で、単に一方的に引っ張っても胎児は出てこない。限られた産道の中を物体が通るためには、隙間を一番フィットするところを探しながら、ゆっくり下ろさないといけない。強引にやったら引っかかる力ばかりが残ってしまって胎児は下がってこないから、慌てないで上から押しながら下から引っ張るべきである。母体の有効な陣痛に合わせて上から押しながら、胎児が出てくる方向をうまく矯正しながら、一番広そうな余裕のあるところを選んで、胎児が体をねじって出てくるのをうまく使いながら下の方へ誘導してやれば、生まれてくる可能性はあったのではないかと思う。原告の傷害は、多分、一方的に引っ張ったため生じたものではないかと思う。」

(二) このように、肩甲難産に陥った場合においても、通常は、適切な手技をもって分娩介助にあたれば、胎児を損傷することなく又は鎖骨の骨折程度で娩出させることが可能であり、これは本件程度の巨大児の場合にあっても同様と考えられ、乙川医師としては、原告に対し、(一)(1)ないし(3)の記載又は供述のような適切な手技をもって分娩介助にあたるべき注意義務を負っていた((一)(1)ないし(3)の記載又は供述のうち、まず、(3)の鑑定人の供述は本件分娩についてのものであるから、当然に巨大児であることが原因で生じる肩甲難産の場合を念頭においているものと認められる。また、甲一によれば、前出「産科学」のうちの(1)の記載は、「肩甲娩出困難」と題する項目中のものであるが、同項目の中には、(1)の記載の前に「Swartzによれば、4000g以上の巨大児分娩において、60例に1例の割合で起るといわれ、その予後は死亡率16%ときわめてわるいという。」などの記載があることが認められ、(1)の記載が四〇〇〇グラム以上の巨大児であることが原因で生じる肩甲難産の場合を除外するものでないことは明らかであり、また、肩甲難産の原因で最も多いのは巨大児であることは証人乙川もこれを認める供述をしている。なお、鑑定人は、いかに適切な手技をもって分娩介助にあたっても、胎児にエルブ麻痺又はそれ以上に重い障害を与えることがある旨供述しており、そのこと自体は鑑定人の供述を待たずとも容易に推測されるところでもあるが、そのようにいかに適切な手技をもってしても胎児に重い障害を与えざるを得ないのはあくまでも例外的な場合と認められる。)

(三)  この点、本件分娩を介助するに際して乙川医師がとった措置の手技は一1(二)記載のとおりであり、これは、右(一)(1)ないし(3)の記載及び供述に照らし、腟内に手指を挿入して胎児の腋窩に置くことなくその頭部のみをつかんで牽引した点や、胎児の体の上げ下げ等を十分せずに一方的に牽引したものと見られる点で、不適切な手技であり、その点に乙川医師に過失があったものといわざるを得ず、また、かかる手技と原告の障害との因果関係は既に一においてこれを認めたところである。

2  したがって、その余の検討するまでもなく乙川医師には過失があるというべきところ、同医師は被告にとって診療契約に基づく債務の履行補助者に該当するから、被告は原告に対し、債務不履行責任に基づく損害賠償義務を負う。また、被告は、乙川医師の使用者として、原告に対し、使用者責任に基づく損害賠償義務も負う。

三  争点3について

1  まず、甲一〇、一六、春子及び原告本人の各供述並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、エルブ麻痺のために左上肢の機能が障害されており、平成二年八月に長崎県知事から身体障害者福祉法に基づく身体障害者等級三級の認定を受け、その後平成五年八月には、左上肢は広範囲にわたって感覚鈍麻の感覚障害、弛緩性麻痺の運動障害等の機能障害が認められるとともに、左上肢の他動的関節可動域は、肩―伸展三〇度〜屈曲一五〇度、内転マイナス一〇度〜外転一五〇度、内旋九〇度〜外旋一〇度、肘―伸展マイナス二〇度〜屈曲一六〇度、前腕―回内六〇度〜回外九〇度、手―背屈七〇度〜掌屈九〇度等であって、左上肢のリーチ機能は障害され、手関節の背掌屈は自動では不可能であり、手指の屈曲はかろうじてできるが伸展は不可能である旨診断された。

(二) 原告は、現在も、自力では左上腕を水平程度より高く上げることができず、その他左上肢は肘や手指の関節の屈伸にも不自由があるため、学校生活を送る上で体育(跳び箱)や音楽(縦笛)の授業の際に支障を来し、日常生活においても洗髪や衣服の着脱に不便が生じており、このような原告の左上肢の機能障害は現時点においてほぼ固定している。

2  そして、このような障害の程度からすれば、原告は労働能力の五〇パーセントを喪失したと認めるのが相当である。

3  以上の認定をもとにすると、障害を負ったことによる原告の逸失利益及び慰謝料の額は、次のとおり認めるのが相当であり、また、その認容額、本件事案の内容及び本件訴訟の審理経過等からすれば、さらに弁護士費用として二〇〇万円を原告の損害として認めるのが相当であって、これらの総額は二二六八万八六八七円となる。

(一) 逸失利益

一三六八万八六八七円

昭和六三年賃金センサスによる一八歳女子労働者の平均年間給与額である一六六万七四〇〇円を基準に、就労可能期間を一八歳から六七歳までとし、新ホフマン式により算定。

{1,667,400×(29.0224−12.6032)}×0.5≒13,688,687

(二) 慰謝料   七〇〇万円

四  争点4について

春子の供述によれば、同人は、Y病院入院中に、乙川医師から、原告がエルブ麻痺の状態にあることの説明を受け、さらに、原告の出生後二か月ほどした時点で、長崎市民病院の医師に原告の右障害が治るかどうか尋ねたところ、同医師から「(右障害は)多分元には戻らないと思う。」と言われた事実が認められ、これにより、春子は「損害及ヒ加害者ヲ知リタル」(民法七二四条)ものといえる。

したがって、使用者責任に基づく原告の被告に対する損害賠償請求権は、遅くとも原告の出生後約二か月を経過した時点から起算して三年後の平成三年四月末ころには消滅時効が完成している。

五  まとめ

1  以上のとおりであって、被告は、原告に対し、債務不履行に基づく損害賠償として二二六八万八六八七円及びこれに対する年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。

2  なお、債務不履行に基づく損害賠償債務が履行遅滞に陥るのは請求のときと解される(民法四一二条三項)から、本件において、被告が支払うべき遅延損害金の起算日は、本件訴訟の訴状が被告代表者のもとに送達された平成三年八月三一日の翌日である同年九月一日となる。

(裁判官西田隆裕 裁判官村瀬賢裕 裁判長裁判官有満俊昭は、転補につき、署名押印することができない。裁判官西田隆裕)

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